
1.ポストに届いた一通の封書
ある日の午後、家に帰るとポストに茶色い封筒が入っていた。
差出人は不明。
そして封筒はやけに分厚い。たくさんのA4書類が三つ折りにされて入れられた感じ。
東京都内の住所と担当者名が名字だけ書かれていた。
「なんだろう?」
日常に突然現れた謎の封筒、胸がざわついた。
差出人は不明だけど、記載されている住所をネットで検索した。
某弁護士法人の住所だった。
でも夫宛ての郵便だし、勝手に開けるわけにはいかないので(普段から夫宛ての郵便は開かない)、夫の見えるところに置いておいた。
その怪しい封筒は、一応封を開けない状態で裏表を撮影しておいた。
10日後くらい、無造作に本棚にあの封書が開封されて刺さっていたのを見つけた。
いいことは書いていないとわかっていたけど、迷わず中身を確認した。
中身を確認した瞬間、やっぱりな、と心の奥でつぶやいた。
「任意整理」――そこにあったのは夫の名前と現実を突きつける文字。
驚きや涙よりも先に、妙な納得感があった。
「やっぱりやってたか」
その言葉は、虚しいほど冷静な自分の心境をそのまま表していた。

日ごろの様子から、【何かおかしい】ことがたくさんあったからね。
2.感情が動かなかった理由
封書を手にした時、胸の奥が大きく揺れることはなかった。
金銭感覚にズレを感じる場面はこれまでも多々あった。
生活費には細かいし、人の出費にはうるさいのに、自分の趣味や突発的な出費には妙に甘い。
「いつか何か出てくる」
そう心のどこかで思っていたからこそ、ショックよりも「確信」に近かった。
だが、それは安心感ではなく、冷たい失望感だった。
自身の給与に比して、金銭の使い方もおかしい。
いくら義父(旦那の父)が不動産投資があり裕福であったにしても、会社の経費精算ができたとしても、それにしても金銭感覚がおかしい。
だからこその、「やっぱりね」だった。
3.封書を引き出しにしまい日々をやり過ごす

その日、封書を元あった場所にしまい込んだ。
一応書類の写真は撮影した。各債権者との合意書(和解書)、今後の支払い計画、債務一覧(10社分)などなど、多数の書類。
それからしばらくは、まるで何事もなかったかのように日常を続けた。
子どもの送り迎え、塾の勉強の面倒、仕事、家事。
外から見れば普通の生活。
けれど、頭の片隅から“借金”という二文字は消えることがなかった。
夫を問い詰めなかったのは、感情が爆発するほどの衝撃がなかったからということと、既に夫婦関係は冷え切っていたから。
それ以上に、「どうせ言い訳するだろう」「何を言っても無駄」という諦めがあった。
4.一人で抱え続ける限界
封書発見から数か月。
私は何も行動しないまま、ただ時間だけが過ぎていった。
けれど、心の奥に積もる不安と不信感は重くなる一方。
そもそもこの人(夫)、私に300万円の借金もあるし、期日も過ぎているのに返してくれない。
誰にも言えず、一人で抱え込むことがどれほど苦しいかを痛感した。
ある日、ついに私は両親にすべてを打ち明けた。
母は撮影した書類をみて、言葉を失うと同時に気分が悪くなった。
父は深くうなずきながら最後まで黙って聞いてくれた。
そして静かに言った。
「まずは旦那の親に話せ、もう駄目だ。これはまた(借金)やる」
その一言で、私の心は固まった。
もうこの問題を“夫婦の中だけ”で済ませるわけにはいかない。
家族、そして義実家を巻き込む段階へと進む時が来たのだ。
5.次なる一歩へ
夫の借金が発覚した日。
私にとってそれは、激しい怒りや涙ではなく、冷静な確信の日だった。
むしろ、この冷え切った夫婦生活に終止符を打つチャンスだと思った。
封書を見てから親に相談するまでの数か月。
心の奥でじわじわと積もったのは、夫への不信感と、自分の人生をどう立て直すかという思い。
そして父の言葉が、次の一歩を決定づけた。
――次は、義父と義妹に伝える番。

はたして、今まで夫のことを甘やかし続けてきた義家族は常識的な対応をしてくれるのか…??
疑問しかありませんでした。
次回は、この出来事を受けて義父・義妹に伝えた場面を綴ります。